人がする行為としての写真や映像の記録には、記録される対象が誰かにとって何か重要で価値があり、時間と空間を超えて共有し、残すべきような特別なものに向けられる性質があるように思える。それは価値観や世界をどう捉えているか、人と外界とのつながりと深い因縁がある。
記録され保存され後世に残されていくようなものには真っ当な、ある種の支配的な偏りのようなものを感じることがある。その違和を眺めつつ、人によって固有な指向性を持たないような等方性のものたちを等方的に記録していく。重要そうではない、非日常で特別なものではなく、それでいて避けられ嫌われてもいない、普段の生活で視界に入ってはいても脳が意識しないような、無意識の中に溶けている日常的なものたちが、その対象として浮かんでくる。それらはきっと特別記録としては残っていかない(だろう)。
この展示は、私が生活をする中で記録されたものたちの集合、展示空間それぞれの相互作用によってシミュレーションされ構成されいる。これらは私が感じた支配的な偏りのような違和に根ざした、世界の断片の収集であり、標本的なものと言えるだろう。
a.写真計測*1による無数の日常的なものたちの記録
b.拾った流木
c.観音寺-閉ざされ使われていなかった土間の空間
d.観音寺-土間の全方向の光情報
これらを作品という形態で展開した。
*1.写真測量(photogrammetry)
・複数の写真画像から対象物の幾何学的な空間や形状を得る技術、方法